期待 [自分]
今行けば間に合うかも知れない。
今を逃したら二度とチャンスはないかも知れない。
そんな焦った気持ちの向こうには、“Yes”のイメージしか存在していない。
もし、間に合わなかったら・・・それは、その時だ。
きっと上手くいく。きっと喜んでくれるに違いない。
他人から見れば、「何もそこまでやることはないだろうに」と言われても平気だ。
そう信じて、行動に移す・・・
結果は、
間に合えば“Yes”だと思っていたのに、たとえ間に合っても、相手の反応は期待から大きく外れたりする。
自分の誠心誠意が全ての人に伝わり、全て“Yes”で返ってくることは・・・ない。
たくさんの“Yes”よりも、たとえ少しであっても“No”が引っかかる。
自分が抱く期待と、結果とのギャップに悩み、疑問を抱いてしまうのだ。
じゃぁ期待しなければ、楽なのか?
期待を持たずに前へ進んで、楽しいのだろうか?
受験勉強はとても嫌だった。
ちっとも成功イメージが持つことができなかった。
満点を最初から取れるわけないと思っているのだから。
「滑り止め」に受かることに成功イメージを抱くことはできない。
そんなつまらない時期もあった。
大人になってからの僕は、行き過ぎた「誠心誠意」が“No”を受け取る心の準備を塞いでしまっているような気がする。
自分の期待とは別に、相手には“Yes”と“ No” の選択が自由にある。
行動に移す前に、「“ No”を受け取ったら・・・」まで仮定しておけたら、悩まなくてすむのかな。
自分を律し、人の期待に応える。
人を裏切らない、悲しませない。
たとえ聖人君子のように行動しても、“No”を受け取る用意が必要ということ。
そんな用意ができるようになれば、逆に人から期待された場合に“No”ということへの罪悪感から解放されるのだろう。
hitoさん、こんばんは。
ある友人が言っていた話しを思い出しました。
その人のお母さんが誰かに贈り物をするのがとても好きな方だったそうです。
でも、一生懸命に相手に喜んで貰おうと誠心誠意選んだものが
思ったほどには、よくは受け止めて貰えないとき、
ずいぶんと落ち込んだり、腹を立てたりしていたのだそうです。
娘である彼女は「お母さん、何ゆうてんの。贈り物なんか相手を想って
贈るゆうたって、要は自分の楽しみやんか。何を贈ったら喜んでくれる
かな・・・って探すとき一番楽しいやろ。贈り物の楽しみをもうそこで
十分に味わってるんやから、文句なんか言うたらばちあたるで!」と
言ったそうです・・・。
へぇ、なんだかまるで「子育て」論でも聴いているみたいだわって思いました。
「子どもがなんにも返してくれなくても、育てる楽しみを味あわせてくれた
だけでもう十分の子どもたちからの贈り物」だと言った母の友達が居たから
です・・・。
なんだかちょっとこの日の記事とは視点がずれちゃいましたね・・^^;
ただ、hitoさんのように期待に応えようと一生懸命な人に何かしてもらったら
私だったら、めい一杯「どんなにしてもらって嬉しかったか」って
あの手この手で表現しつくすって思うけれど(笑)
組み合わせってありますよね。
「相性」とでも言うべきでしょうか。
by Meg (2005-11-28 18:34)
Megさん、こんばんは。
そうですよねぇ・・・企画を思いついたり、あれやこれや考えている時が楽しくて、やり続けているんですよね、結局。
結果にしても、相手の表現の仕方次第ということだから、やっぱり「相性」とか「タイミング」ということになるのでしょうか。
一生懸命に誰かのために何かをしてあげている姿をみると、僕はその人を素晴らしいなぁと思います。
それが僕のためであった場合、精一杯の感謝の気持ちを伝えるようにしている、つもりです。
どれだけ伝わったかを確認できませんけど・・・。
相性、思考が近いと感じるのかなぁ。
by hito560x (2005-11-28 21:11)