いつからか [ありふれた日々]
僕は責任感ばかりを気にして、こうあるべき、人前では自分が正しくなくてはならない、まだ頑張れる・・・そんな気持ちに支配され、達成できれば自己満足にひたるが、次の瞬間には「見返り」を期待している自分がいるらしい。
そして自分の期待とは異なる展開に対して不満やイライラを募らせるようになっている。
一見すると聖人君子のような言動も、実は、自然体ではない自分を演じ、常に自ら不満を作り出している、そんな矛盾なことを繰り返しているようだ。
そのことによって他人を傷つけるような言動も起こしてしまっている。
聖人君子を気取って他人を傷つける結果を招いているなんて、なんて愚かなのだろう。
「最低だな、そんな人間」 そう言う人の方が多いかも知れない。
先日新潟で大きな地震があった。
僕がもし、その現場に居合わせたら・・・
僕の目の前にもしかしたら助けられるかも知れない人がいるのに、はたして自分だけ逃げ出すことができるだろうか?
いや、命の危険を察したとき、本能的に身体が動くかも知れない。
でも、察知できない状況に一人でいたとしたら・・・
たぶん、自分の予測がつく限界まで、自らを犠牲にして目の前で助けを求めている人を救おうと一生懸命努力しているに違いない、聖人君子を気取って。
いや、気取っていないんだ、本当は。
多分信じられないと思うだろうが、限界まで頑張ることに一生懸命だと思う。
まぁ、どうでもいい。
でも、そんなことをしているうちに、僕は崩れてくる建物の下敷きになり、誰からも発見されることなく苦しみながら尽きてしまうだろう。
そして、最後の瞬間まで自分の思い通りにならなかったことに対して怒りの感情を持ち続けたまま、
僕は地獄に向かっていくんだな、やっぱり。
最低な人間として。
風をあびて [ありふれた日々]
休日の駅へ向かって一人歩いていく
春の太陽に暖かく包まれてすがすがしい。
散歩している犬と目が合って、何か言葉を交わしたような気になる。
走ってみようと思う。
一人で、もがいてもいい。
どうしようもなく行き詰ったとき、不意に人の優しさに触れて救われてきた。
遠回りでいい。
前に向かっていれば。
強い向かい風の中を、僕は楽しそうに全力で走り始めてみることにした。
STILL a long way to go
目に映ったすべてのもの [ありふれた日々]
とてつもなく大きな悲しみが、空から僕の全身を覆い、吹雪のように容赦なく押しつぶそうとする。
ひたすらこらえる。
でも、少しでも気が緩むと、涙がにじんでくる。
ただ、その悲しみに立ち向かう方法がある。
「憎しみ」
「悲しみ」を「憎しみ」で打ち消す・・・
“調和”を目指し、聖人君子を気取った自分は今そんなことを繰り返している。
車の窓を下げ、夜の冷たい風をいっぱいに浴びる。
とても寒い。
それでも僕はアクセルを踏み込んで、もっとスピードを上げる。
ミスチルの曲を流しながら、そんな愚かな自分を戒めるために。
僕ら [ありふれた日々]
命を授かって生まれてきたんだ僕らは。
憎しみや悲しみの感情に覆われているのはつらいだけだ。
できることなら。
今日も昨日も一昨日も・・・目に映った景色、風、匂い、そのすべてが僕を覆い、
切なく悲しい気持ちが無防備な僕を次々と襲ってくる。
ただひたすらこらえるだけで精一杯だ。
口に出せないほどの辛さだ。
寒くなったせいかも知れない、
飲めないお酒を飲みすぎてしまったようだ。
初(?)詣 [ありふれた日々]
2006年がスタート・・・する前に、フライングで大晦日の午前中に、全国第3位の参拝者を誇る「川崎大師」へ行ってきた。
大晦日の夜となると物凄い大勢の人で、入場制限でちょっとずつしか進めないし、お賽銭を後方から投げ入れるような感じになってしまう。
実はこれまで僕は「裏ワザ」でこの混雑を回避してお参りしてきた。
それは「出口からお参り作戦」だ(苦笑)。
それが僕の運勢を左右するとは思えないけど、今年は「裏ワザ」ではなく、「フライング作戦」で正面から行ってきたというわけだ。
人も少なくて、天気もよく、実に気持ちよくお参りできた。
フライングが仇となったのかどうか分からないけど、おみくじは「小吉」だった。
ちなみに、写真右下の五重塔は6角形をした屋根でちょっと変わっている。
青空の下、朱色の建物はとてもよく映える姿だった。
愛情と友情 [ありふれた日々]
愛情と友情の違いって何だろう。
同性か異性かの違いなのかな。
いや、動物に対する愛情だってあるからねぇ。
相手を思いやる気持ちに違いはないと思うんだ。
こんなことを気にするのは僕だけだろうか。
ちょっと、待て・・・ [ありふれた日々]
仕事で取引先から「至急」の連絡が入り、営業車で急行することになった。
この営業先は僕にとって苦手な場所だ。
言いかえると、「良好な人間関係を築けない相手」だが、取引である以上向かわざるを得ない。
「至急」のため、普段は使わない高速道路へ乗った。
ところが、すぐに事故渋滞の表示とともに、渋滞最後尾に着いてしまった。
「(高速を)降りようか」
「降りても信号だらけで遅い」
「渋滞表示は1キロだけだ、このまま待とう」
「事故は起きたばかりで渋滞は長くなる可能性もある」・・・
僕の選択は・・・「このまま待とう」だった。
普段なら恐らく「即、高速降りて一般道」を選択しただろう。
だが、賭けてみた。
結果、高速の降り口を通過してしばらく渋滞は続いたが、表示どおり1キロ弱の渋滞だけで解消された。
しかし、当初の「至急」に対してロスタイムを被ったことには変わりない。
高速道路を降りた後、抜け道を通り、大きな道へ出て、思いのほか空いていた道路をアクセルペダルを踏み込んだ。
(めずらしい!こんな大きな道路で前後に車が見えない。)
いつもよりもスピードがプラス10キロ以上出ていた。
制限速度からはプラス30キロちょっとだ。
僕は先を急ぐ気持ちと同時に警戒をしていた。
緩い登り坂をアクセルペダルを踏み込んだ。
信号も青だ。
バックミラーに目をやると、後続車は遥か彼方のまま。
前方の車へもまだ距離がある。
道は平坦になり、そして下り始めた。
アクセルを踏むこまなくてもスピードは上がりやすい。
そこで一瞬ためらった。
(ちょっと、待て・・・)
ほんの数秒前に見たバックミラーを再びチラッと見た。
すると・・・雲一つない晴天に照らされて眩しくて形がはっきり見えないが、あり得ない後続車が1台だけ走っている姿が見えた・・・。
瞬間!
僕はヒヤリとして踏むかどうかためらっていたアクセルペダルを隣のブレーキペダルに変えて一瞬踏み、ウィンカーを左へ出して流れるように左車線へ移った。
同時にバックミラーを見ると、「白バイ」であることがはっきり見えた。
「やばい!」「捕まった!」
そう思った。
なぜなら彼は、僕が気付くよりも前に追尾を始めたはずだ。
ところが、捕まらなかった。
僕が気付くのと白バイが追尾を始めたのが同時に近かったのかも知れない。
白バイはしばらく僕の右前方を走っていたが、急ブレーキとともに後方へ退き、誰も曲がらないであろう細い路地へ左折していったことをバックミラーで確認した・・・。
僕には再び先を急ぐ気持ちが頭をもたげてきた。高速道路の渋滞を取り戻さなくては。
(さっきの白バイは、Uターンをして自分の管轄を取り締まるだろう)
そして僕はアクセルペダルを慎重に踏み始め・・・数秒経った頃、半ば「癖」でバックミラーを見やると、やはり眩しくてよく見えないけど、ギラギラ光る白い小さな・・・バイク!そう、白バイだ。
僕はアクセルペダルを再び放した。
もちろん制限速度内だ。
彼は、一度逃した僕をどうしても捕まえたかったようだ。
だが僕はまもなく大きな道路から外れた。
白バイが尋常でない圧倒的スピードが出せない道へ。
明らかに今日の僕は普段よりスピードを出していたことを自覚していた。
だからこそ、白バイの存在を察知できたし、慎重だった。
そう、行動中に「自覚」できると、もう1人の自分がいることに気付く。
「ゴールを急ぐ自分」とは別に、「周囲に気を配る自分」が同時に存在していたように思う。
ただ単に、苦手な訪問先へと急ぐ僕は、白バイと「余計なかけひき」をしていただけかも知れない。
広くて前後に車がいない、事故の起こる可能性が低い大きな道路という条件下で・・・。
まぁ、捕まらなくてよかったんだけど(笑)。
少年の頃に描いた絵 [ありふれた日々]
小学校4年に秋の遠足と合わせて写生会があった。
広島県福山市にある国宝「明王院」の五重塔。
当時、僕はちょうど転校して間もない頃だった。
誰から期待されるわけもなく、ただ目の前にある建物をどう画用紙へ収めればいいのか、周りの人がスラスラと下書きを始める中、何度も頂上の部分を書いては消すことを繰り返していた。
結局、その日に描き終えることはできず、家に持ち帰って根気の続く限り無心で描いた。
この絵は、学年で「特選」に選ばれた。
しかし、市のコンクールへ出品することになったのは、同じクラスの女子が描いた作品だった。
今でもうろ覚えだが、僕よりもこじんまりとして全体構図がしっかりとしていたことを記憶している。
20数年経って、あらためて眺めてみると、あちこち「手抜き」した箇所も見えるし、当時の「ごまかした」部分も思い出されてきた。
そういえば、赤色の絵の具が切れてしまい、本当は朱色で塗りたかったのが2段目以下は茶色になってしまっている。
これ以降「五重塔」を超える作品を描くことはできなかった。
周囲の目を意識するばかりに、「上手に書かなければ」という思いと、負けた悔しさから「全体構図」を考えるようになり、描きづらくなっていった。
今、僕の思考は「ゴールイメージ」を考え、それを実現するために、どうしたらいいのか一生懸命考えて、すぐに単独で実行してしまう。
こんな僕では、「五重塔」のような出来事は二度と起こらないかも知れない。
p.s.
この日、僕は絵を描いていた近くに生えていたちょっと見かけない草のようなフサフサした植物を抜いて持ち帰った。
親が鉢へ植えたら元気に育ち、プランターがいっぱいになるまでになった。
花が咲くことはなかったが、暑さ寒さに耐えて枯れることはなかった。
その数年後、引越しをする際にプランターごと持ってきた。
そして、再度引越しをした現在の横浜にある実家の玄関手前に、今も元気に生きているんだよ、持ち帰って27年も経過しているのに。
こんなことになることをイメージできるはずもない。